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コラム「徒然なるままに」(2009年10月)

ダブルインカム

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

喜ぶ人々のイラスト

 「“ダブルインカム”でいいねえ」とよく言われてきた。

 働いて40年。結婚してからも辞めることなく、いわゆる共働きを続けてきた。確かに“ダブルインカム”である。そう言われるたびに、特段反論はして来なかったが、何か釈然としない思いはいつも残ってきた。「二人で働いている。だから二人分の給料が入る。それって当たり前じゃないの?なんでそんなにいつも『いいなあ』と言われるのだろうか…」というのが正直な思いである。

 私も、もちろん夫も仕事には手を抜いて来なかったつもりである。私の仕事のために、外泊があっても、夜遅い夕食であっても、子どもの世話であっても“当たり前”のこととして夫は受け入れやってきた。また、夜の会合や集会に時に子連れで参加もした。

 ある意味“ダブルインカム”には、私も夫もそして子どもたちもお互い「我慢すべきこと」を我慢し合い、しかし「尊重すべきこと」を尊重し合ってきたという多くの思いがある。もちろんそう思えるようになるには長い年月が必要でもあった。

 「私も働いているのに、何で…?」と家事・育児の負担の重さを私は嘆いたし、団塊世代の夫としては、「ほかの男からみれば、こんなに育児も家事も手伝ってやってるのに…」「何であんなにうちの妻は仕事優先なのだ…?」と不機嫌な日々も多くあった。いくつもの“言い合い”や“黙り合い”や“話し合い”や“思いののみ込み合い”の中でようやくお互いの仕事への思いや価値を認め合って来たというのが本当である。

 私自身、夫の気持ちをきちんと感じることができたのは、娘についてのあるできごとを通じてである。

 上の娘は障害を持った方の通所作業施設で働いている。結婚し妊娠が分かり報告に来た時、娘の連れ合いは娘の体も心配し「辞めてはどうか」と話した。ちょうどそのころ、その施設のベテラン職員が大挙して退職し、娘は残った職員の中心的役割を担っていた。娘は悩みながらも、体の心配も分りつつ、しかし「今辞めるわけにはいかない」と泣いて言った。私は正直何とかして働き続けさせてやりたいと思い言葉を探していた。その時に夫が、娘の連れ合いに、「いろいろと迷惑をかけるし、不便も心配もかける。すまんけど、こいつ(娘)が働きたいと言うなら働かしてやってくれんか。人間は、やっぱりやりたいことをやっている時が一番輝いていると思うわ。長いこと女房を見てきてつくづくそう思うんや。だから、やらしたってくれんか」と頭を下げた。その言葉は本当にうれしく、心から感謝をした。

 “働くことは生きること”—どんな働きにも価値があり、働きに応じた価値が認められそれが賃金なりの形に反映され、次への労働の糧になり、働く尊厳が守られる…そんな「ディーセントワーク」が、それこそ、男性と女性、正規と非正規、学歴の有り無し、肌の色の違い…などを超えて、みんなに保障される社会になっていく時、多分「ダブルインカム」は当たり前のことになっていくだろうと期待したい。

 また、もちろん家事・育児・介護・地域活動などの、誰かがやらねばならない「アンペイドワーク」にも、これまた男女を問わず雇用形態を問わず誰もが参画できるワーク・ライフ・バランスのとれた社会の実現も表裏一体のものとしてめざすべきであろう。そして、労働運動も、運動家も、そんな社会の実現にむけ、大きく変わる時ではないだろうか。