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コラム「徒然なるままに」(2009年8月)

恩送り

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

四つ葉のクローバー のイラスト 皆さんにも、多大なカンパのご協力をいただいた大阪希望館の設立イベントの際に「『思いやり格差』社会から『支え合う』社会へ」と題して神戸大学大学院の稲場准教授の講演を聞く機会をいただいた。その中で、思いやりとはまさに「恩送り」であるとの話があり、いたく納得した。「恩返し」は恩を受けた人などに直接それを返す行為であるが、「恩送り」は、受けた恩を直接ではないが、順に送っていくという考え方である。

 私が組合活動にかかわるようになったきっかけは、自分の産休や育児の体験からである。私の時代には、産休もまだ短く、育児休業はなかったし、保育所といえば、その数も預かってもらえる時間も十分ではなかった。「もう少し産休が長ければ…」「育児休業があれば…」「子どもが病気をした時に休める制度があると、もう少し同僚にも迷惑かけず、子どもにも十分なことがしてやれるのに…」などという思いが、“産休の延長を”“育児休業法の制度化を”“ポストの数ほど保育所を”“看護・介護休暇制度を”という運動につながり、いろんな活動に取り組んできた。もちろん産休もなかった時代に、諸先輩たちの産休制度や産休中の代替制度を求める運動があればこそ、私たちは産休も取得できたのであるし、そんな多くの人たちの運動が積み重なって、今ある権利や法整備ができてきたと思っている。

 介護休業が制度化されたときに、難病のお子さんを亡くされたある同僚が「良かったわ。これで子どもが病気の時には休んで看病してやれるね」と言いながら涙を浮かべていた光景が思い出される。彼女は自分の経験から、介護休業制度の実現に本当に熱心に取り組んでいた。

 組合活動はまさに恩送りではないかと思う。自分の時にはなかった制度や労働条件を、しかし自分にとって、家族にとって、仲間にとって「あったらいいなあ」「変更すべきだ」というものを運動にして次世代に送っていく。

 多くの人の思いや願いが詰まった「恩送り」の行動で今の社会があると考えたら、今、自分にできる「恩送り」は何だろうかと考えていくことが、さらにいい社会作りに繋がるのだと思う。思いやりにも格差があるといわれる。組合活動も衰退していると言われる。今一度組合活動の原点である「恩送り」(=「思いやり」)の行動を考えてみることが組合活動にとっても大事な時期ではないだろうか。