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コラム「徒然なるままに」(2007年10月)

運動会のシーズンに思い出すこと

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

 

 運動会のシーズンである。この時期になると思い出すことがある。20年以上前になるだろうか、子どもの数も多く1学年7クラスでの運動会であった。1年生の種目でクラス全員のリレーをやった。当時私のクラスに障害をもったK君がいた。彼は1年生に入学する半年前にようやく自分の足で歩けるようになったところであり、その当時もリハビリに通っていた。もちろん走ることはかなり困難で、このリレーでも彼が走るとどのクラスにも追い抜かれ「べった(一番後)」になってしまうのだ。運動会前の練習でもいつもわがクラスは大きく引き離された「べった」であった。

 ある日、アンカーを走るY君が「リレーに出たくない」と言った。理由はアンカーでだれもいない運動場を1人最後に走るのはかっこ悪いというのだ。「何を言ってるの。Kちゃんにも走る権利はあるでしょう!」としかり飛ばすのは簡単だがそうはしたくなかった。私としては「Kがいては勝てない!」という思いの壁を崩したかったのだ。「そうだね。確かに最後に1人走るのはいやだよね。じゃあどうする?Kちゃんを出さないでおく?」とクラスのみんなに聞いた。シーンとなった。しばらくして2・3人から「そんなん、かわいそうや…」という声が上がった後、みんなはまた黙った。しばらくして毎日K君と帰っているN君が「おれべったでもいいからアンカーする。Kかって走りたいに決まってる」と言った。私は思わず涙が出た。1年生がここまで言うその心意気に感動したのだ。何としても勝たせたいと思った。勝つことで何かを切りひらきたいと思ったのだ。

 私はみんなを運動場に出し、リレーのコースにみんなを等間隔に並べた。当時1クラス40人くらいいたと思う。隣との間隔はちょうど1メートルかそれを少し超えるくらいだったと思う。「K君はだいたい1周分ほかのクラスより遅れるね。その遅れる1周をみんなで分けたら、ほら隣との間はこれくらい。どう?手が届きそうやね。40人みんながこれだけずつ、今より縮めるぞと思ってもっとがんばれないかな?これだけずつみんなが必死で縮めたらべったにはならんかもしれんよ。K君を出さんと勝つことと、みんなでもう少しずつがんばって勝つことと、みんながKちゃんならどっちがいい?」と訴えるように聞いた。先ほどのN君が「おれこれだけ分絶対にがんばる!」と言い、みんなも「そうだ!そうだ!」とうなずいた。

 結果、当日は7位中見事に6位を取った。1位よりも価値ある6位である。みんなは肩を抱き、手を取り合って大喜びだった。子どもたちは自分たちのがんばりに対して、「みんなで勝った」ことに対して何者にも得がたい勲章を手に入れたのだ。そのときの子どもたちの笑顔は破格だったことを今もこの時期になると思い出す。

 おりしも、安倍首相が病院で辞任についての会見をしていた。彼の「内閣放り出し」のせいで国会には大きな空白ができてしまった。この責任はひとえに彼の未熟さにあると思うが、彼を選出した自民党にもある。しかし、その責任など一切関係ないかのように次期総裁選にむけて右往左往している周りと、辞任の理由は病気だったと今更言う安倍首相…。私は、結局今の自民党(政治家?)には、この子どもたちのような心意気や連帯感が決定的に欠けており、そのことがこの間の「格差」などの問題にもこんなに鈍感でいられるのだと思う。安倍さんの願いだった「教育再生」とは本当はこんな子どもたちを育てることではないのだろうか。